{はじめに}

 残念ながら私自身はグリーンランドやアリューシャン列島などカヤック文化の故郷である地域には一度も行ったことがありません。
 ここで論じる様々なことは、国内で手に入れることが可能な限りの資料と、現地(主にはグリーンランド)を訪れたことのある人々からの話しと、私自身がパドリングをしてきた経験をもとにしています。当然こうした思考には限界がありますので、事実とは違う誤った部分があるであろうことをまず最初にお断りしておきたいと思います。
 同時に、カヤック文化そのものが、16世紀に始まった北極探検ブームや18世紀のロシア人によるアリュートの隷属などによる無秩序な西洋文化の移入によって急速に廃れ、一時期はごく一部の人々に伝承されていたのみだったという事実も強調しておかなければならないでしょう。
 グリーンランドエスキモーは16世紀にはすでに欧米文化と接触していましたが、150年ほど遅く欧米文化との接触が始まったアリュートやアラス
カエスキモーの方が動物や地下資源の関係から急速に独自の文化を失うことになりました。1825年にアリューシャン列島に赴任したロシア正教会神父ヴェニアミノフがアリュートの文化に関して詳しい記述を残していますが、彼をして、すでに伝統文化は多くが失われていたと言わざるを得ない状況でした。
 また、グリーンランドはデンマーク領としての歴史は長い一方で緩やかな近代化政策のおかげで文化的な継承も比較的行われ、言語的にもカラーリット語が公用語のひとつですが、アラスカからカナダにかけての極北地方では、カヤック文化はもとより現地語さえ危機に瀕していると言われるほどの現状があります。そのため、文化の発掘・復興を行うにあたって、欧米の研究者によって解明されたものを逆輸入するという皮肉な現象も生まれています。
 いずれにしろ、継承そのものも伝統文化の保護目的で行われていることが多く、カヤック等が実際に使用されているのは、北グリーンランドのポーラーエスキモーのカヤック猟と、北西アラスカのウミアック猟ぐらいのようです。
 ところで、シベリアからベーリンジア(ベーリング海峡が陸続きだったときの呼び名)を人類が渡ったのが1万5千年ほど前だと言われています。一番最近の氷河期の末期にあたるそうですが、それにしても厳しい自然環境の中を何波にもわたって移動の旅が行われ、ときに集落の絶滅なども経てようやくグリーンランドに到達したのが4500年ほど前だそうです。
 こうして歴史的・地理的に振り返ってみると、カヤックをめぐる文化は、実に数千年の歴史と数千kmの道程に鍛えられてきたのだということがわかります。それ故の多様性と独特の合理性は大変興味深い側面を持ちますが、ここではあくまでカヤックを中心に解説を行いたいと思います。

 ここで、彼らの呼び方についてです。
 民族的に言うとアリュートとそれ以外の民族は近縁関係はあるものの、かなり以前に別れたということが遺伝学的に確認されています。
 また、エスキモーという呼び方がアルゴンキンインディアンによる蔑称であるという説も確定的ではなく、一方でイヌイットという呼び方はあくまでカナダにおける文化の復興過程の中で特定の民族が固有の呼称として使っているものなので、アラスカでは一般的ではありませんし、グリーンランドにおいても一律に使われている呼称ではありません。
 そこで、この中では、少し複雑になりますが基本的にアリュート・イヌイット・エスキモーと3種類の呼称を使うことにします。


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