///物語///

 私は92年にシーカヤックを始めました。そのころも、カヤックの原点が極北にあることは知っていましたが、決定的だったのはG.ダイソン氏の著書「バイダルカ」との出会いです。いつかは自分で作りたいと夢想しながらその美しい写真を何度眺めたことでしょうか。でも当時はパドリングを覚えるだけで精一杯でした。
 93年には洲澤氏が始めてのワークショップを開き、身近な仲間が参加しました。羨望でした。
 94年、カナダのカヤックメーカーの社長を囲むイベントで初めてグリーンランド型の市販パドルと出会い、試漕してすぐに気に入り予約、95年3月、いよいよグリーンランド型のパドルを手にしました。そして、それまではどちらかというとアリュート型のカヤックやパドルに興味があったのが、グリーンランドに興味が移って行きました。ビデオを購入して繰り返し見たものです。
 98年。サラリーマンをドロップアウト、念願だった洲澤氏のワークショップに参加し、カヤックとパドルの製作を教わりました。その後、製作開始の条件が「乗り続けること」だったことが幸い(?)して、「どうしてこんなカヤックを作っちゃったんだろう」と悪態をつきながら、漕ぎ続けることになりました。
 漕ぎ続け勉強を続ける中、今度はグリーンランド型やアリュート型以外のカヤックも優れた性能を持っていたことを証明したくなり、02年、フーパーベイ型カヤックを製作。翌03年にはグリーンランド型でもより古い形の1880年代型のカヤックを復元製作しました。
 残念ながらフーパーベイ型カヤックは十分に乗りこなせていませんが、1880年代のグリーンランド型カヤックを現在も乗り続け、思考を続けています。

 私はトラディショナルカヤック・パドルを通じて、ずっとモンゴロイドとしての自分自身を見つめ直しているような気がします。
 にやにや笑うことがまるで不気味で悪いことのように言われ、あいまいな言語表現が批判され、私たち自身がいつの間にか欧米型の考え方をするようになっています。でも、実はグレートジャーニーという学説にあるようにモンゴロイドは厳しい自然を越えて(決して克服ではありません)、アフリカを出てから南アメリカ南端部、あるいはオーストラリアやニュージーランド、そして太平洋のど真ん中まで旅をしたのです。その過程で身につけてきた様々な形質や意識が、近代化して多くのものを失なってしまった今でも、私たちの中に流れているはずなのです。

 こうした古いタイプのカヤックにしろパドルにしろ、決して扱いやすくはありません。
 どうしてこんな形なのか、どうやってこれを扱ったのか・・・。研究の分野でも少数派の中の少数派であるために、多くがすでに失われてしまった伝統となりつつある今、私たちは想像でそれを補うしか手はありません。
 しかし、私たちは同じモンゴロイドとして、自然を、克服する相手ではなく、共に生きる相手としてとらえることができるはずです。また、少ないながらも資料はあります。

 そんな思いで、たった6年ではありますが、漕ぎ勉強し思考してきたことを元に想像の翼を少しだけ広げてみました。
 もし、ここから何かを感じていただけたら嬉しいです。

2004.11.26

2007.7.2 3.{精霊を追って}を追加。

1.{精霊からの贈り物}

2.{生と死}

3.{精霊を追って}