{生と死}

 北のキャンプが全滅したという話は、この春のとくに遅かったアザラシの訪れで、私たちがようやく一息ついた頃に聞いた。
 もっと北のキャンプから長旅をして来たと言うアンガコクによってもたらされたその悲報は、しかし決して珍しい話ではない。
 それに、他人事ではないのだ。私たちのキャンプがそうなっていたかもしれないからだ。
 この冬は陸の動物たちになかなか巡り会えなかったのだ。吹雪の中、飢えた身体にむち打って雪原をいくらさまよってみても、何も捕れない日が続いた。同じように飢えた妻や子供たちのことを思い、必死で探し回っても、巡り会えない時はどうしてもダメなのだ。それでも私たちは恵まれていた。冬の寒さを凌ぎ、身体を維持するぐらいには獲物が手に入ったからだ。
 季節の変わり目に入り、もうアザラシが来ても良い時期になったのにその兆しさえ見えず空腹ばかりがつのってくると、生まれてくるはずの私の子供を、このままでは間引きすることも考えていたし、それでもダメなら親父にカヤックに乗って逝ってもらうしかないとさえ考えはじめていた。
 間引きは食糧事情が悪くなると日常的に行われていたし、それが原因で一族が激減することも起こりうるが、全滅を避けるには仕方がないことだった。さらに、年寄りがカヤックに乗って海に出て行くことは、普通自発的な行為とさえみなされていた。ときとしてその機会をのがしてしまう年寄りもいて、そういう時は長男が告げてカヤックに乗せたが、もっと辛いのは拒む父親を自らが手にかけることさえあるということだ。しかし、未来へ命をつなぐということはそういうことなのだと皆知っている。私もいずれ年老いて、
子供たちにすべてを引き継いだ暁には、海へ帰る時が来るかもしれないのだ。
 犬も食った。集落に帰ったら、次の冬までに犬を補充しないと、猟ができずに今度は私たちが全滅してしまうだろう。
 それにしても、北のキャンプは何かあったのだろう。精霊に何か無礼をしてしまったのかもしれない。
 アザラシにしろセイウチにしろ、あるいはホッキョクグマにしろジャコウウシにしろ、人間と形は違っていても同じ精霊の宿るもの同士なのだから、無礼さえしなければ、だれか訪れてくれるはずなのだ。
 きっとそうだ。北のキャンプの誰かが、精霊に非礼をしてしまったのだ。
 ひょっとして、私たちのキャンプの誰かも非礼をしてないとも限らない。集落に戻ったらアンガコクに精霊の声を聞いてもらおう。
 こういうことは気がついた時にやっておく必要があるのだ。
 昔、一族全員が飢え死にした話を聞いたことがある。それは恐ろしい話だった。
 冬はおろか夏の間も十分な食料を確保できず、食べられるものはすべて食べ尽くし、普段はあまり口にしない海藻まで口にしたという。さらに悪い時には悪いことが重なるもので、猟の中心を担っていた大人が次々海や雪原で死亡してしまった。
 アンガコクは飢えが始まった時、精霊の怒りが収まるまで少し待てと言ったという。しかし、大人たちは一族を飢えから救うには時間がないことを知っていた。
 そうして、一年のうちにはその一族は全滅したのだという。
 私たちは精霊によって生かされ、精霊と共に生きていることを忘れてはいけないのだ。