2000.11.2 大渡さんのメール

 グリーンランド北部とその他の地域の問題については、言語的にも文化的(資料では北部のカヤックはかなり違う形をしています)にも違いがあって、加えてお互い偏見もあったりするようだという話を聞いていたので、そのへんの事情についてお尋ねしたところ、以下のような返事をいただきました。
 併せてグリーンランドでツアーに参加したときの貴重な写真もいただきました。交流があるせいか、カヤックは南の地域と同じ形のようです。まったく興味は尽きません。
 文中の大島育雄さんについては文芸春秋社から「エスキモーになった日本人」という単行本が出ていますのでそちらを参照してください。


 ここ2〜30年でグリーンランド・カナダのイヌイットの交流は盛んになってきているようです。Qaanaaqでも1990年ごろまでは、一般の人たちは、外部との交流はほとんどなかったと聞きました。たぶん政府関係のCommunication Systemだけだったはずです。いまでも年一回の補給船があるだけですが、Qaanaaqに住んでいた人が最近NUUKに引っ越したという話も聞きましたので、かなり移動はしています。
 また、植村さんのときは、北部と南部とはほとんど交流がなかったと聞いています。ここの、Polar Inuitはやはり最後のほんまもののInuitで、ほかのInuitから尊敬されているようです。
 毎年一回交流会みたいのがあって、Pond InletへQaanaaqのハンターが行き、もてもてのようです。
 ところで、このQaanaaqのQajaqはカナダのイヌイットが、1860年代に紹介したのをご存知ですか?
 1860年代に、Pond Inletの村を離れた一部のハンター(けんかか何かと思われます。それに関する本も出ています)が数年かかって、Ellesmere Islandをへて、凍った海峡を渡り、最後に行き着いたところがPolar InuitのQaanaaqでした。いま日本人の大島育雄さんが住まれているSioraparukは、ほとんどがその子孫です。一番最近の氷河期の時期に、Qajaqの必要がなくなりQajaqの文化が消えたようです。それ以前はやはり、Qajaq文化があったようですので・・・・


Qqaanaaqのカヤックはほとんど白でした。一度青の生地を使ったのも見ました。
グリーンランドの海岸は砂浜が非常に少ないと言われているようですが、結構砂浜ありました。石ころビーチもたくさんありました。


これはフィヨルドの南壁です最後の日で60kmこぎました。Qaanaaqに着いたとたんに嵐になりました。くわばらくわばらです。むちゃくちゃ寒かったです。


Kohei Owatari
大渡 浩平


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