2001.12.3 日本国内のトラディショナルカヤックをめぐる小史

 少し前になりますが、千葉県在住のグリーンランドQAJAQフリークである伊東氏より、彼のホームページ用の原稿依頼を受けました。
 そちらのホームページでの掲載が最近終わりましたので、その文章に少し手を加え「小史」として掲載します。


 はじめに、日本におけるトラディショナルカヤックをめぐる簡単な歴史を振り返りたいと思います。
 民族学的な研究や風俗的な紹介は日本でもさほど新しい話ではなく、1941年にはフランス人のルポルタージュが翻訳されています。
 また、1960年前後に一度、さらに、1970年あたりから80年代にかけて、世界的な民族独立運動の高揚や植村直己氏の冒険旅行を前後して一度、エスキモーブームがあり、本多勝一氏のルポルタージュを代表とする様々な本が出版され、TVを通して映像でも紹介されています。
 こうした書籍を通じて、厳しい自然の中で数千年を生き抜いてきた様々な興味深い知恵や風俗を知ることができます。しかし、一方で、一世紀にも満たない(民族によってはほんの数十年)ほどの間に、エスキモーやアリュートがそうした独自の文化を急速に失ってしまったという事実には愕然とさせられます。
 残念なことに、こうした書籍さえもすでに絶版になっているものが多く、古書店を通じて手に入れるしかありません。そのためエスキモーやアリュートを総体的に理解する方法が、現在かなり制限されているのも事実です。

 ビルダーとして、日本国内でかなり早いうちにトラディショナルカヤックやパドルの再現を手がけたのは、私の記憶が確かなら(って、何だかどっかで聞いたようなせりふですが)、北海道の松原秀尚氏でしょう。現在もカナディアンカヌーをメインに、アリュート型カヤックやパドルを製作されています。
 不確かな情報ではありますが、ビルダーとしてではなくという条件では、80年代に長野県で製作されたという話しもあります。ブームに刺激されて作られていてもおかしくはないでしょう。
 現時点で最も多くのトラディショナルカヤックの製作を手がけている
のは山口県の洲澤育範氏でしょう。
 92年より製作を始め、約30艇(ご本人も正確な数字がわからないそうです)のカヤックを製作されています。氏の持つノウハウは膨大な資料と試行錯誤を通しての独学によ
るので、古い手法の再現が比較的正確ではないかと言われています。氏もまた乗り続けることを提唱されています。
 林田弘行氏も忘れてはならない存在です。ビルダー同士のネットワークを作ろうと以前から活動され、一方アリュート型フォールディングカヤックというユニークな製品なども作られています。現在も神奈川県で地道な活動を続けておられます。
 また、3年ほど前になりますが、本格的に教わりたいと2名の日本人がほぼ同時期にグリーンランドに渡り、現地でカヤックを製作されてきました。高橋弘子氏と平田文典氏です。平田氏も、自作し乗り続けることによって理解が深まると製作と実漕を継続されています。
 パドルに関しては伊豆の塩島氏はここで多くを語るまでもないでしょう。氏のグリーンランド型パドルは多くのカヤッカーに愛用されています。
 そして、ここ数年、各地でトラディショナルカヤックやパドルが作られるようになっています。私が把握しているだけでも、上記の方々を除いても5名の方がカヤックやパドルを製作し続けておられます。
 ついでと言っては何ですが、地理的に近いことからか北米ではかなりの数に上るビルダーがおられまして、ミーティングも開かれています。また、その複製対象のカヤックもグリーンランド型やアリュート型に限らず非常に多彩で、実漕も含めて日本より遙かに歴史も人口もあるようです。J.D.ヒース氏という、40年あまりをその研究に費やしてこられたトラディショナルカヤック・パドル研究の巨人とも言うべき研究者がアメリカにおられることと無関係ではないでしょう。


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